次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

人間の感覚心理を知った日

2002年あるいは2003年の8月、旧盆が過ぎた…たぶん22日ごろのこと。金曜日か土曜日だったと思います。というのは、隣町在住の先生(楽器)のお宅へ個人レッスンを受けに行った日だから。

往路。楽器を車に積み込み自宅を出発し、交通量の多い幹線道路を運転していました。横道へ入る少し前だったと思います。急に感覚がおかしくなりました。それは知っている感覚でした。そう、10年ほど前に長野県の野辺山へ行く途中で体験した感覚です。少し違うのは、その時よりもっと強くてはっきりしたものでした。

身体全体が車のシートにめり込んで行くのでは?と感じるほど、床下方向に引っ張られているのです。同時に全身にずっしりと重さがあって、お尻も上半身もシートに沈み込んでいる実感がすごいのです。『あぁ私って今、ここの世界に馴染んでる。シートの感触がすごい!、これって…こんなに気持ちいいんだ!』
違和感に驚いて、私は横道に入ったところで車を路肩に寄せて停めました。
ハザードを点灯して足をペダルから離し床に置きました。すると膝下が、車の床にめり込みそうに強力に引っ張られているのを感じ、重たいのです。『地球の引力?ってすごいんだ!』と思いました。

戸惑いながら、脚を動かしてみることにしました。…動きました、重いけど大丈夫。普通に動かせました。私は手を伸ばして脚に触れてみました。感触は…違和感はそんなには無かったのですが、でもやはりちょっと変な感じでした。

今度は顔の前に両掌を広げて、見つめながら『指を動かす』と意識してみました。頭から腕の神経を伝って信号が指先に向かってゆく…ような錯覚?をほんの僅かに感じました。拳を作ってニギニギやってみました。なんか楽しい。

次に腕を伸ばして手のひらをダッシュボードへ移動。それからフロントガラスへ。そこで気づきました。ガラスに密着させた手のひらを離そうとすると、ガラスに貼り付けた吸盤を剥がすような…粘着シールを剥がすような…そういう感触だったのです。ぐにや~っと捲って引っぺがすみたいな感じです。面白~い!
そんなふうに一つひとつ確認していた次の瞬間、顔の皮膚の感覚に変化がありました。当たり前のように…だから普段感じもしなかった空気が纏わりついているのがわかりました。それはまるで水で溶いた片栗粉が少し固まりかけたような…トロッとした感触でした。手も少しそれを感じました。そのような状態の空気の中に、私は…居る。。。
ちなみにその日は快晴でした。夏ですから蒸し暑さがあるといっても、車の中はエアコンが効いています。だから湿度は高くないはずです。

『空気ってこんなふうなんだ。冬はどうなんだろう…?』などと考えていると、急に私の内部に何かがジワーッと広がったように感じました。その何かが私の身体の隅々まで浸透して、そして理解したのです。思わずつぶやきました。「あぁ、…みんな(人間)はこう(そう)なんだ。だから…」 

この私の「独り言」の意味するところは、地上にちゃんと下りている…つまり普通一般の人間は肉体にも空間にも馴染み=同化している。ありとあらゆる物質を自分の感覚意識の中に取り込んで繋ぎ留めている。離れられないのです。逃れられないというか。なぜなら、そうすることは快感を生み出すから。

願い、欲する。それが少しでも叶うこと。そのことは個としての自分にとって楽しく、気持ちのいいこと=快感なんです。それは 一種の麻薬のようなもので、人間はその感覚や感触を手放したくないのです。だから自分にとって良き未来を望み続ける…。それが高じれば、競争を越えて、激しく争ってでも手に入れたいと切望するようになってしまうことも。そのように人間の思いは永いこと…何世代にもわたって繰り返し、やがて…定着してしまった。。。

そうした感覚や感触を、私は実際、この「下りる=(肉体と地上に)着地する」体験で知りました。
現実感は作られるものなのです。肉体に同化し(肉体を含め)物質に同化し、そしてそれらに依存することによって現実として作用し、人間は互いに綱引きをしながら快感を維持するために欲を肥大化させて来たのでしょう。肉体と意識を分離出来ない人間たちの世界は、そのように構築され、続いて来た。当たり前のこととして。。。
だから現在の殆どの人間は、そのような成り立ちを忘れてしまっているが故に、肉体の自分とそうでない自分を区別出来なくなってしまっているのではないでしょうか。

ちなみに、この私の体験は1時間ぐらいで終わってしまいました。いつもの自分に戻ってしまったのです。
ですけど、…貴重な体験でした。ここの世界(一般的人間の世界)は凄まじくも興味深い。率直にそのように感じた体験でした。


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