次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

三途の川の記憶

三途の川…だったのかもしれない。。。
実は、私には明確な記憶はありません。
なんとなく…それらしき景色=目の前に緩く流れるたくさんの水…川のようなものがあったことしか憶えていません。
なにぶんにも私は4歳でしたから。そんなわけで、それが「三途の川」であるのかないのか、言及が出来ないのです。

ならば何故「三途の川」の記憶、という見出しを付けたのか?と言えば…。
それは、母が「三途の川に違いないと思った」と私に言ったからです。私がその話を聞いたのは高校生の時。

私が離れに独りで居るときにわりと大きな地震が起こりました。揺れが収まってから「すごい揺れだったね」と母に話しに行ったのですが、母から「何、寝ぼけてんの?」と言われてしまいました。「寝てない。起きてたよ。絶対に揺れたよ」と私。
しばらく押し問答になりましたが折しも昼。正午になろうとしていたので私は「ニュースで確かめる」と言い放ちテレビをつけました。が、地震の報道は…ありませんでした。
「私、寝ぼけてなんかいない。だって起きてたもん。揺れたもん。。。」そう言う私に、母はそれ以上否定したり追及はしませんでした。そして何か思い出すように考え込んでから私に言いました。
「そう言えば、〇〇ちゃんが小さかった時にも…おかしなことがあったわ」と、私が幼稚園生の時に起きたことを話してくれました。それが「三途の川」かもしれない、と私も思った理由です。

私は母の話を聞いた時、自分の中に当時の経過がところどころが記憶として残っていることに気づき、それらについては詳しく思い出せました。ただ、川のある風景部分については殆ど憶えておらず、目の前の水の流れしか…しかもうっすらとしか思い出せません。

私は高校生でのこの出来事(事件?)まで、それまで私に起きてきたいろいろな不思議なことについて誰にも話していませんでした。普通に考えれば変なことだったので隠して来たのです。
ところが、この地震話で図らずも母にバレることになってしまいました。でも一方、そのおかげで幼少時の記憶を一部でも蘇らせることが出来ました。この記憶は後の霊的人生に於いて重要な意味を持つ一つとなりました。
母と私の関係はずっと複雑(近づいたり反発したり)でしたが、母はこういったことに関しては寛容だったので、ありがたいことだと思っています。