次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

「三途の川」事件のあらまし

これの前記事で「三途の川」を見ただけで渡り損ねたことを書きました。
それにまつわる一連の出来事の幾つかの断片が、思い出せたとも書きました。
この記事では、私が母から話を聞くことによって思い出せたことと母から聞いた当時の出来事を繋いで、どんなことが起きて、どうなった(どうなっていた)のか、まとめてみたいと思います。
以下、母の記憶=☆、私の記憶=★ 

19〇〇年10月16日(あるいは17日)
※西暦年は敢えてボカシていますが、正確にわかっています。当時、母が私の妹を妊娠していたとのことで、割り出せました。ゆえに、私は4歳でした。日付については後述します。

☆19時半頃。何事もなく元気にしていた私が突然意識を失って倒れた。
★背もたれと肘掛けがあるこげ茶の椅子の横で立っていた。一切れのリンゴを食べ終えたところで記憶が途切れた。

☆すぐに、かかりつけ医へ連れて行った。診察で医師が擽ったり叩いたり抓ったりするも反応なし。熱も痙攣も無く呼吸は普通。ただ両目が片側に寄っていた(右側へか左側へかは憶えていない)。
医師が「こりゃダメだ」ということで、総合病院へ向かった。
★意識が無かったはずなのだが、母の膝の上で向かい側に座っている医師からツンツンされているのを見ていたという記憶がある。診察室内の机とか壁も見えていたが、すべてが白黒映像での記憶。記憶はその部分だけ。

☆総合病院で担当医師が検査をした。他に異常は無く原因がさっぱりわからないと言われた。背骨に針を刺してみたが意識が戻らない、とも。処置室から私の「痛い!やめて!」という叫び声が聞こえたのになぜ?と思った。
★その時の記憶は全く無い。欠片も思い出せない。

☆そのまま病院で翌朝、ベッド上の私に向かって名前を呼んだら、いつもの朝のように普通に目覚めた。8時か8時半頃だったと思う。
★脚に太い注射をされて(たぶん痛くて)気が付いた。その時泣いていた。気が付く瞬間を憶えている。視野が中心からゆっくり回転しながら開いて行き、天井が見えた。天井が見えるまでの視界には何も無く、色は白っぽかった。見えてから、病院だろうと思ったし、ベッドの上にいることもわかった。看護師さんが注射していたのも見えた。ただ場所は、部屋(病室)や処置室というより…もっと広いホールのように感じた。他にもベッドがあったように思う。

☆「どうしちゃったの?」と目覚めてすぐに訊いたら、私の返事が三途の川を思わせるものだった。
★私は…内容はおろか、質問されたことすら憶えていない。

☆様子見のために、そのまま入院。およそ2週間。その間、全く異常なし。いつもの様子と変わりなかった。
★その間(入院中)の思い出せたことは以下。
 ・母が看護師から私のお昼について質問された。「今日の分は、今ならまだ間に合います」とか言うのを聞いた。(入院患者の給食のオーダーについて。今すぐ頼めば今日の昼からできます、という意味)
 ・病院食が重湯からスタートで次がシャビシャビのおかゆ。不味かった。(その後の食事内容は記憶に無い)
 ・病院の廊下を元気に走り回り、叱られた。廊下の様子も少し憶えている。背の低い収納仕切りみたいなのがあった。車いすか何かわからないが、中にいくつか畳んで並べられて(置かれて)いた。
 ・幼稚園の先生(保育士)が病院に来た。母と保育士さんの会話の内容は、いつから登園するか?というもの。それしか憶えていない。結局、旗日(祝日)があってすぐ日曜だから、週明けからに、と決まった。
(それは11月3日『文化の日』が過ぎた次の週明け月曜から登園する予定、ということ)
 ・保育士さんと母が話しているときに割り込んで、私が母に「いつからここに居るのか?」という内容の質問をした。上手く表現できず「いつ…ここに…いる(た)?」みたいな言い方をしたと思う。不思議なことだけれど、口から出るのは幼児の表現でも、私の中には大人の自分がいて、正確な言い回しが出来ないもどかしさを感じていた。
※ちなみに母は保育士さんが来たことしか憶えていないとのこと。


冒頭に書いた、日付が割り出せた理由について説明します。

当時、園児は各々幼稚園から「出席帳(手帳型のもので、見開きの2ページが1か月分のカレンダーになっている」)を渡されていて、登園すると小さなかわいいシールをもらってその日の数字の上に貼り付けることになっていました。
カレンダー日付の背景は、季節ごとの自然と動物が描かれたイラストになっていました。私はそれを手にして母に質問をしたのです。母がカレンダーを指さしてくれたのですが、最初に指さした数字を「…じゃなかった、ここ」と指をずらして示したのです。でもそれが16日か17日か…。隣同士の数字だったのでよくわかりませんでした。母の指先は(子供から見て)大きくて太いので、2つの日付の間を指しているように見えて、結局どちらを示したのかわからないのです。私はそれ以上追求しませんでした。あとから示された方=16日の方かなと勝手に判断しました。

「10月」と確定したのは、その開いたカレンダーには秋のような抑えた色使いで松の木と地面に転がる松ぼっくり。それを拾おうとしている猿の絵があり、翌月のページは群青の空に映える鮮やかな紅葉の森林が描かれていたのを憶えています。そして16日あたりから2週間で退院なら10月末あたりで自宅に戻る。翌月はすぐ「文化の日(祝日)」があります。それからほどなく週末なら週明けから登園というのは辻褄が合います。母の妊娠と照らし合わせると、そこ以外に考えられないかと。

 

かくして、三途の川事件は終わりました。結局のところ何だったのか…わからずじまいです。

いきさつをずっと見ていた母も病院の医師も困惑する出来事でしたが、その後はいつもの日常が戻ったので、母も私も忘れてしまっていたのでしょう。