次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

雑感。とりとめなく…

ご無沙汰してました。
なんだか…気ぜわしい(気ぜわしかった)…というわけでもないのですが…。
どうにも落ち着かない日々が続いていて、記事にまとめたり書いたりする気持ちになれなかったです。いちばんの理由は、生活防衛と言いますか…。

私はエーテルとアストラルという括りで言えば、本性としてはエーテルがすこぶる強いのです。ということは物質や地上生活にあまり没入できないということになります。しようとしても…。

そもそも性的本能が殆ど無いわけで、その意味では恋愛にも生殖にも全く興味がわかないし、それらを欲しいとも思わない。そう言う気が起こらないのです。
食べ物に関しても、お腹が空くから…しょうがないから?…肉体生命を維持するために食べる、という程度のこだわりしかありません。まぁ、一応、食欲は正常かな。でも、食物の成分によっては不耐もありますし、味覚があっても食べていての感動もあまり湧かないので…。ただ、同じ物のばかり食べるのは身体に良くないし、やはり味の変化は…欲しい。なので口に合うものいろいろ食べようと思うし、それを欲する。そうは言っても…経済的に厳しいので簡単には満たされないのですが。

人とのかかわりに於いても、話が合わないことが殆どなので、全然楽しくないのです。それは上記のこともそうですが、私の周辺では、当たり前のことですが、世の中の人は地上的な人ばかりなんですね。彼らは興味が全て物質に基づいた地上の暮らしのこと。それが悪いわけではない(むしろ、地上的人間としては当然のこと)ですが、私には神経がもたないというか、もの凄く疲れるんです。隠された精神波をも拾ってしまうし、独りで居ても様々な物に触れているだけでも疲れてしまうんです。。。

そんなわけで、言ってみれば社会不適応的要素が満載なんですね。普通の仕事もままならない。たくさんの睡眠や、たわいもないことをした後でも神経(精神の)クールダウンの時間が必要なんです。
傍目には穏やかそうに見える暮らしでも、私としては毎日が戦いと闘いの中にある。。。 経済的なことをおいといても、です。

地上的人間=一般的な人々を見下すつもりは全くありません。それはそれで素晴らしいし、愛すべき人々もたくさんいます。けれでも私はそうなることが出来ない…。望んでも、願っても、叶えられることは無いのです。とは言っても、私はもはや全く望んではいないのですけれど。
なぜなら。意識の上位次元の世界を実際に知ってしまったら、…というか、そこに移行していると、(変な言い方ですが)地上のことが面倒だったり、アホらしく感じてしまうことが多くなるからです。地上の人間はちっとも成長してない、なんて…ね。そして、地上は…なんともつまらない(面白くない)世界だな、と。

私は4歳の時に霊的変化の緒に就きました。それから成長するにつれて、どんどん進んで行きました。霊的にはアストラル的体験からエーテル的体験の方が多くなって行きました。地上生活はイジメや貧困等、次から次へと苦しいことが続き、いわゆる(一般的に言う)個人的な幸せには無縁という人生です。

そんな人間(私)には…(極端な言い方ですが)地上は既に地獄ともいえるわけです。社会情勢に関係無く、ね。まぁどうでもいいけれど。
そして地上の人々は、文字通り、地上に張り付いて(這って)生きている人達なわけで。此処はそのような人間が大多数を占めている世界なわけで。
彼らは地上視点しか持たないのだからしかたのないことです。それは…だから…私と話が合うわけは無いですよね。

霊能者と言われる人たちは、一般的地上人と違って別の視点も持っているわけですが、彼らは地上以外はアストラルを基盤としています。つまりエーテル基盤の私とはまた少し視点が変わって来るのですね。勿論私も多少アストラルの領域は馴染みがありますので、彼らの話は理解はできます。
いわゆるスピリチュアルの話についても同様で、だから私は理解できます。

全ては地続きでもありグラデーションでもあります。いろいろな見方が出来ますが、それらは互いに結びついていて、ともすれば同じことでもあり、だから切り口=視点によって説明が違うように感じられることもあります。誤りと指摘されることであっても、それは、その切り口では上手く説明出来ないだけのような気もします。要は、一概に、完全なる誤り(間違い)ではないのかもしれない。そんなふうに考えて自分の意識の引き出しに入れておくと、後々ハタと気づきがやって来ることがあるんですね。

次元を考えるとき、実はシンプルなのだけれども、ここの世界から見ると複雑で奥深い。肉体と物質に同化&依存して生き、それが当たり前となってしまうと、視野が狭くなって一方向からしか=自分の場所からしか見れなくなってしまう。。。
此処の世界の人間は肉体と結びついた視覚に頼りすぎているが故に、そしてその視覚を使いすぎるが故に、見えるものも見えなくなっている。そんなふうに思うのです。