次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

クンダリーニのさらなる現象

高校2年の夏に最初の顕著なクンダリーニ上昇が起きたのですが、それは未だ序の口でした。それがクンダリーニ上昇の一部?であることなども当時は知る由も無く、何事も無い日々が続いていたので完全に油断をしていたのでした。

8月の中頃。たぶん最初に上昇が起きてから10日あまり立っていたと思います。正確な日付は思い出せませんが、一週間とか10日とか…記憶するのにそのような切りの良い数字では無かったことだけは憶えています。
時刻はやはり午前中。正午までもう少しという時でした。
※日時ですが、もしかしたら翌年かもしれません。部屋の模様替えで机の位置が違ったから。ちょっと記憶が曖昧です。

過去2回と同じように強い眠気が着て我慢できずに横になりました。すると金縛りと併せて大きな揺れが襲って来ました。地震!? そう思いました。
視界にはグラグラ揺れる部屋の様子が見得ました。頭上=顔の真上近くには、天井から吊り下げられた直官の蛍光灯が見えました。それは大きな横揺れで翻弄されている…ように見えました。ただ…視界のすべてのものは、真昼だというのに全体に少し暗く、水の中からの景色のようでした。(空間の濃度が違う感じ)

あまりの大揺れに、私は重要なことを見落としていました。その時は驚きと『地震の揺れの待避行動をどう取るか』ということに意識が向いていて気づかなかったのです。
『とにもかくにも頭を守らなければ』と考え、動かない身体でもがき続け、どうにか頭を少しだけずらすことに成功しました。『これで蛍光灯が落ちてきても…たぶん…大丈夫』と思ったのでした。

突然、揺れが収まり、金縛りも解けました。相変わらずまた熱い。夏だから暑いのは当たり前だけど、そうではなくて身体の中から半端なく熱くて汗が吹き出ていました。

私は立ち上がって蛍光灯を見上げました。吊り鎖は正常で器具も無事でした。でも、点けてみようと紐を引っ張ると…点きません。やり直しますが、やはり点きません。入り口横の壁にあるスイッチを試してみました。それでも…点きません。今度は椅子の上に立って蛍光管がはずれていないかチェックしました。先ほどの大揺れでズレたかもしれないと思ったからです。ですが異常はありませんでした。
『なんで点かないのかしら?停電?』と思いながら紐やら壁のスイッチやらで何度も試しました。たぶん全部で10回以上は試したと思います。…と、突然、点きました。

私はもう一度試して点灯と消灯が出来ることを確認してから大急ぎで母屋へ行きました。
台所では母が昼食の準備をしていました。
「さっきの地震、すっごい揺れたよね。停電もした?」と母に言うと「何、寝ぼけてんの」と返されました。えっ?…と私は否定されたことにびっくりでした。しかも寝てたと思われてる。
「寝てなんかいなかったもん!ちゃんと起きてたもん!すごく揺れたんだから。さっきまで蛍光灯も点かなかったんだから!」と私はムキになって反論しました。それでも母は地震などなかったし停電もしてないと言うばかり。
私はちょうど正午になろうとしているのに気づき「ニュースで確かめるよ」と言ってテレビを点けました。正午の時報を告げる時計の画面がNHKのニュースを読むアナウンサーに替わり…、ずっと視ていましたが、とうとう地震のニュースは報道されませんでした。
「だって…あんなに揺れたのに…なかったなんて…」そう呟くと母はしばらく無言。それから「変ね」と言ったきりでした。私はといえば、頭の中は…もうわけがわからない。。。 そして追求をやめ、そのまま記憶に留めて置くだけにしました。

私が体験中に見落としていたこと。それは少し後になって気づきました。
あの時の激しい揺れ。それは、実際には揺れていなかった。つまり地震ではなかったことは明白だったのです。
なぜなら、部屋の棚等に置いてあった物は何一つ倒れてもいなければ落ちてもいなかったし、場所の移動も全く無かったからです。
思い出してみるに、自分自身(身体)は確かに大きな揺れを感じていて恐怖もあったけれど、吊り下がっていた蛍光灯器具もその鎖も固着しているかのように微動だにしていなかったではないか。むしろ、天井も鎖も蛍光灯も『そのまま一緒にスライド往復』していた…。
視野の中にあるすべてのものは視野もろとも同期していたのです。あの揺れは、たとえばカメラで静止場面を撮影しながらカメラだけを揺らしている=言ってみれば手振れの酷い映像を見ているようなものだったのです。

 

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