次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

孤独な人々は地上の人…。

最近の事件や、そうでなくても、世の中の人々の話の中にわりと?登場する言葉に「さびしい(さみしい)」というのがあります。帰省の時期に再会してそれからまたそれぞれの生活に戻る別れで「さびしい」というのはよくわかります。「でも、そうでなくて、離婚したとか仲間外れとかで「ひとりぼっち」で「さびしい」と。

それって、人間特有なの…でしょうか…?
申し訳なくも、私はその孤独感がよくわからないのです。

幼児期も学童期もイジメに耐え、…とにかく学校等で居場所がなく、育った家庭でも理解が得られず私が家族に奉仕するだけの関係で居場所がない。社会人になっても環境は変わらず、変えるための努力も頓挫ばかりで実らない。昔も今もそんな人生。社会人になってから、ある会社での同僚が唯一、親友に近い関係になりました。友達と言える人は彼女ひとりだけ、という感じ。でも、私が諸般の事情で遠くへ移住することになり、今では年賀状で近況報告する程度になりました。移住の地でも、緩い関係の友達?が一人出来ました。無理のない『距離感』の関係で、殆ど連絡は取り合いません。
それと、実は私には姉妹が2人いますが、どちらともウマが合わないというか、…それこそ2人とも毒姉妹なので疎遠になっています。

そんなこんなで私は傍から見れば孤独に見えるかもしれません。必要な物を買いに出ることくらいしか外出しませんし。
そうは言っても月に一回程度というか年に6~10回程度、楽器を教えに行っているので、完全引きこもりと言うわけでもありません。

私は人が多いところや、人とかかわることが好きではないのです。神経がものすごく疲れてしまうからです。出かけて帰宅すると、暫く休まないと何もできません。夕刻から夜の外出などがあると、それがたとえ私の望んだことであっても、帰宅後2時間ぐらいはPCでネット検索などして好きに過ごさないと眠ることも出来ないのです。なので、その意味でも一人で居たいほうなんですね。

私はちょっと特殊な人?でもあるので、理解者がほぼいないということで、孤独と言えば孤独なんです。
でも…それでも私自身は「孤独」「さびしい」と感じることはありません。これまでのところ。
聞くところによれば、そもそも人間は大きなもの(一つの意識)から切り離されて個々の肉体の中に隔離されているような存在とか。だから「孤独」が怖い。「さびしい」し「つながりたい」し「一緒に居たい」のだとか。
私はそういう欲求が無いからやはり…ちょっと特殊というのもわかるような気がします。

私は霊的には「繋ぐ」とか「調整する」とか…そういう役割の存在らしく、その当事者たち(対象となる人・もの・世界)の中には入れないのだそうです。それは地上のことだけとは限りません。だから「孤独」的な存在なのでしょう。
まぁ本人=私としては(天使の階段・ヤコブの梯子として踊り場や中間域に常駐して)空間に繋がっているし、その意味で霊的意味の次元世界(空間)から愛されている」という感覚があるから、寂しくないし孤独も殆ど感じないでいられるのかもしれません。私は良い意味で吹っ切れているな、と思うのであります。