次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

生々しい 希死感情を実感した

2006年ぐらいだったかなぁ…。まだ富士の国に住んでいた時です。
新しい家だったから、2000年より後ろで東北の震災よりも何年か前だったような気がするので…。

PC作業とかする部屋(勉強部屋のようなものです。寝室ではありません)で机に向かっていました。たぶんPCでネットで何か調べものをしていたと思います。突然、奇妙な感覚になりました。なんだか無性に…死にたくなってしまったのです。

その時の暮らしは特に厳しいとか苦しいとか…キツくは無かったし、何か大きな心配事があったわけでもなく、忙しすぎるということもありませんでした。両親が他界して独り暮らしも一段落していて、睡眠も足りていたし、…さしあたっての悩みは無かったです。つまり、死を望むような要因は一つも無いわけで、この数年は(自分としても)死にたいなどとは思ったことも無かったのです。

ネットでの調べ物も、そういったことに関することではありませんでした。だから、あまりにも唐突に湧きあがってきた厭世観というか希死感情に自分でも驚きました。
『何なんだ、この感覚(感情)は?』そんなふうに冷静に探っている自分がいると同時に、もう一人の自分なのか…漠然と…よくわからないのですが…つかみどころのない自分が『死にたい、死にたい』と願っている…というか、死へ追い立てている…? 私は死にたくなんかないのに!

『いや、ヤバいんじゃ? こなままでは本当にそういうふうになりそう(死ぬ方向に行っちゃいそう)』
そう思った私は、ネット検索をストップして、急いで別のアプリを立ち上げました。音楽シーケンス・ソフトです。私は音楽が好きで、自分で短い曲を作ってみたり編曲したりを趣味にしていました。ちょうど作業中の楽曲があったので、それに没頭することで頭の中からその『嫌な感じ』を追い出すことに成功しました。

それにしても、私にとってあの感覚は本当に『嫌な感じ』でした。そして思いました。「死にたい」と願っている?人というのは、あのような感覚なんだろうか、と。
私は願っても想像もしていなかったのですが、どういうわけか「死にたい」という感情が湧きあがって来て…、『きっとあのまま何もせず、ただボーっとしてたら、本当にそっちへ行っちゃったかもしれない』と思ったのでした。危なかったです。冷静に見つめることが出来た自分に感謝です。