次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

1つの出来事で2種類の過去が存在(3)

私は真っ暗な中に居ました。肉体の感覚が皆無なので、自分の身体がどんなふうに(どんな格好に)なっているのかわかりません。手も足も頭も…どこにあるのかわかりません。ただ「私」という意識だけが、点のように「ここ」に存在していました。重力も感じませんから、どちらが上でどちらが下なのかもわかりません。右も左も前も後ろもわかりません。暑さ寒さもわからなければ音も聞こえません。外界も自分の肉体の内部の音も…例えば心臓の鼓動とかもわかりません。あるのは沈黙…静寂…だけ。勿論匂いもしません。

ただ…なんとなくわかったのは、意識だけの「私(自分)」は中空のようなところに居ることと、その場所がまだ「自分」と定義される範囲の空間?、それも肉体の近くであることでした。肉体の外側というより内側?(肉体の存在を直接感じることは出来ませんが、推測や想像というより直感的にそんなふうに思えました。)
私は焦りませんでした。というのも、こういった異常な体験は、私にとってはある意味「普通のこと」だからです。変な言い方ですが、百戦錬磨?とでもいうのでしょうか、数えきれないほど体験してきていますし、そもそもこの状態が初めてでも、何を意味するか?を概ね理解していたからです。

『このまま…ではマズイ。さて、どうするかな』と私は冷静に考えました。
『中心を意識して「導線=道」を見つければ(辿れば)「外」に出ることが出来ると思うけど、それはいわゆる「死ぬこと」になってしまうだろう。私としてはこの世界に未練は無いも同然だから…それはかまわないけど、でも引っ越して来たばかリだというのに大家さんに迷惑をかけるのは…ちょっとそれは…申し訳ない。そうでなくても…死なないにしても、誰かに見つけられて救急車沙汰になるのは恥ずかしい…というか困る。とすれば、なんとしても早急に肉体を取り戻して部屋に戻らねば…。』
それが私の結論でした。

『まず、何から(どこから)始めようかな』私は考えました。最優先事項は…。
それは「手」を取り戻すこと。肉体の手の感覚が戻れば、自分の位置がわかると思ったのでした。両手を並べて着けば、そこは地面か壁。ここまでの経緯を考えれば地面ということになる。次に足を取り戻せば…少なくとも手と足を地面に置けば、それは「下」で、体勢を安定させえることが出来る。その次に目=視覚を取り戻せば…安全に立つことが出来るだろう、と。

さしあたって、自分の「手」を探すことにしました。『私の手はどこにあるの?』と手の形を想像しながら自問、念じてみました。すると…見つかりました。場所(位置)を敢えて表現するなら『目の前』です。顔があるとしたら、顔の前10~20センチとか…近い! そして私が触れているのは地面のようですが、そこで面白い感覚になりました。私が自分で思っていた地面の場所が(向きとしては)なんと壁の位置だったのです。つまり自分の感覚としては『腕立て伏せ』ではなく、『壁ドン』という感じ。でもその壁が地面。

『えっ?90度ズレてる?』。…でも考えてみたら、倒れているなら…そうなってますよね。
なんにしても地面の位置がわかりました。そこで今度は「足」を想像して集中。見つけました。私は手で触れている場所に片方ずつ足を置きました。前屈しているのかしゃがんでいるのかはわかりませんが、とにかく地面方向がわかった=「下」がわかった、というわけです。

次にしたのは前屈姿勢で立つこと。まだ何も見えてはいませんが、手のひらと足の裏を並べて置いていることを意識して、それからその状態で「立っている」ことを念じたのです。何故その姿勢を選んだのか?と言えば、いきなり直立姿勢をとると感覚が慣れていない状態なので転ぶかもしれない、と思ったからです。前屈姿勢なら、もし転んだとしても地面まで近距離、最悪でも手でワンクッション取れますから頭を打つ危険は少ないだろう、というわけです。

そして、なんとなく『前屈姿勢で立つことが出来た』と感じ、それが確信に変わりました。感覚として認識できているのは重力方向と手のひらと足の裏。そのほかの部位はわかりません。でも『意図した姿勢でバランスを取って立っている』とすれば、視覚を取り戻すことで実際の全体像がわかる=すべての肉体感覚を取り戻せる、と思いました。というわけで、いよいよ視覚の再取得の番です。

・・・つづく・・・