次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

3.11震災‐予兆・私の一大事(続)

私が座り込んでいたのは12畳足らずの居間の中央付近。近くに家具は無く、掴まるところがありません。というより、その部屋はテーブルも椅子も片づけてあり、立ち上がるために体の支えになるものは…テレビ台ぐらいでした。でもそこまではちょっと距離があるか…な、ということで、玄関ホールに通じる引き戸を使ってみることにしました。洋服もカバンも掴んで…引き摺ってそこまで行けば、戻ったり動き回る必要もないし、着替えが出来ればすぐ玄関だし、です。その後は…その時にまた考えよう!となりました。

私は「痛みよ退け!」と念じながら両腕(手)を使って躄って(膝行で)進み、引き戸までたどり着きました。
『さて、どうやって立つかな』しばし、考えました。そして縋りつくようにして引き戸の端を掴み、渾身の力で身体を支えながら右足(脚)のみで立ち上がりました。私はけっして(体重が)軽いほうではありません。それでもどうにか成功しました。
横(玄関ホール)の壁に向かい合わせに張り付き、両腕で寄りかかりました。そこまでで、大きく息をついていました。それから向きを変え、お尻を(壁に)預けて休みました。同時にまた念じていました。「コントロールしろ自分!」と。それは、痛みや辛さの感覚をコントロールする、という意味です。

少し楽になって来たので、そこからまた考えました。下駄箱の上の時計を見ながら『なんとか歩けそうだ。なら、バスで駅まで行って、それから電車で…』と決めました。ゆっくりしか歩けないことを考えると、早い時刻のバスと電車に乗らなければなりません。朝食を摂ってから家を出ていたら間に合いません。スクールは駅の近く。朝食はスクール傍のコンビニで調達することにしました。逆算して家を出る時間を決め、それに向けて準備です。あまり時間はありません。『コントロールしろ!』と呟きながら、下駄箱からキャリーを出して教科書を入れた手提げやバッグを縛り付けました。そして…、通常より1時間早く出発です。

いつもの倍近く=10分ぐらいの時間をかけてバス停へ。そしてバスの最後尾座席(後乗り前降りバス)にどうにか座って手すりにつかまり座骨への負担を減らしました。20分ほど揺られて最寄り駅に到着。
少し時間があったのでトイレへ。その間も左の座骨は疼きます。歩き始めが辛い。。。
電車は…折しも通勤時間帯で大混雑です。それでも歩く距離を短くするために(申し訳なくも)階段近くの車輛に乗り込みます。すぐ降りられるように列の最後尾に並び、ドア近くに立ちました。それからまた20分ほど電車に揺られ、スクール最寄りの駅に到着。多くの人が乗降する駅です。できるだけ素早く下りようと努力するも…迷惑をかけてしまいました。後ろから降りてきた若いサラリーマンのお兄さんがぶつかり、私はキャリーごとホームに転倒。その後ろからもたくさんの人が降りて来ます。でも幸いなことに…大丈夫でした。火事場のなんとやら。わりと早く立ち上がることが出来ました。私はお兄さんに謝りながら、ホームに落ちた彼の目薬やペンを拾って渡しました。心配そうに見てきたお兄さんに「大丈夫です」と言って、私はとりあえずホームの中央付近へ進んで人の波をやり過ごしました。

そんなこんなで駅前の広い道路までやって来ました。横断歩道の信号を1回やり過ごし、次に青になったところで渡り始めました。キャリーだけでなく…左足を引きずりながら。相変わらず左の座骨あたりが痛い…けれど、コンビニでサンドイッチと牛乳を買ってスクールにたどり着きました。授業開始の45分ほど前に着くことが出来ました。30分ほど前に教室スタッフが解錠。私は『湯沸かし(水道があるスペース)』で食事を済ませ、教室内に入りました。座るのは…やはり大変でしたが、座ってしまえば…というか、腰から下をあまり動かさなければ痛くない状態でしたので、授業に集中出来ました。

そうしてどうにか1日の授業を終え、帰りはバスのみで帰宅しました。実は、バスのみだと乗り換えが無いのです。ただ、早朝は直通バスが無いので駅経由=バス+電車となります。
それから2~3日経った頃、激痛は治まりましたが、少しの痛さと違和感は残り、良くも悪くもならずにそのままの日々が続きました。相変わらずの「ちょっとおかしな歩き方」で通学を続けていたのでした。

・・・つづく・・・