次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

霊的変化は階段を上るように…

ここ…東北に移住して来て、もうじき8年になります。
最近ふと、住んでいるアパートの部屋(内部)の空気感が違うというか、変わったな、と気づきました。引っ越してきた当初と同じくらい片付いていない部屋(汚部屋ではないけど物が多い)ですが、掃除も行き届いてはいないのですが、なんていうか、何もない空間部分の様子…質?みたいなのが違う、と。

具体的にどう変わったのか?を言葉で表現するのは難しいのですが、入居した当時のちょっと暗いような感じが無いのです。特に照明器具が変わったわけではないのに、昼も夜も明るくなった気がするのです。しかも、空気自体の重さも変わったような…。埃っぽい部屋なのに(苦笑)、空気の澄んでいる感が増して、しかも軽くなってもいるような…。

入居して5~6年間は、たしかに健康面ではお世辞にも良い状態ではなかったのは確かです。それでは今は?というと、やはり万全ではないです。去年までに比べれば今年はいくぶん良くなり、この秋にはかなり良くなりました。
でもこの空間の感触…感じ方は去年から今年にかけて変わったという感じではなくて、もっと前からだったように思います。

思えば、月夜にオーブが写真に撮れる割合がここ数年グッと減りました。3年余り前までは、わりとよく写りました。でもここ2年くらいは写らないことが多くなりました。というより、殆ど写りません。
コロナ(ウイルス)や物価高で心の余裕も経済的余裕もなくなったから、というのもあるかもしれません。地上で生きるのに必死だから=地上に意識が向いている、とか。
でもそれにしても、空間の印象が以前とは違う。。。

ずっと昔…幼少だった頃からの『私自身の空間の印象』に限って思い起こしながら記憶をたどってみると、異常体験や不思議な体験、変容などを経る都度、少しずつ変化してきたように思います。それは自身の波動変化または離人症的移行によるものだとも思えます。それも、突然とか一気にではなく、休止を挿みながら徐々に、言ってみれば一歩づつ階段を上るように霊的上昇をして来た結果と言えるかと。

今後は若い頃のような大きな変化を体験することは無いと思います。ですけど変化、というより知ることや認識に至る…ようなことは、まだまだ可能性としてあります。
ここ東北に来てからも大きな体験がありましたし、いつなんどき、そのような事態に放り込まれるやもしれません。常に心しておこうと思います。

普通でない人生は私の当たり前ですから慣れています。実人生も霊的人生も。だからそのことに関してジャッジすることはありません。
残された人生、淡々と生きることを心がけて行くつもりです。(でも、終活に向けて断捨離しないと!・汗)

観察者が先か毒親が先か

…って、なんだか「鶏が先か卵が先か」みたいな感じですが、まぁそんなような話になるのかなぁ、と思っています。
直前の「曼荼羅スピリチュアル」さんに関する記事で、観察者の人生は大変になることを書きました。勿論、スターシードやライトワーカーも同じように大変だと思います。

それで、先の、どちらが先か?みたいなことですけど…。
観察者は往々にして社会的に不利な立場になってしまうのですが、それは家庭環境に原因があるのかな?とも思ってもみたり…。
普通の(何を基準に普通というのか?という疑問もありますが)家庭ではない場合、子供はのびのびと育つことが出来ませんよね。多大な抑圧の中で自分を〇して我慢を続けたりするわけで、それで観察者のようになって行くのかもしれません。
一方、観察者であるが故に、どこか遠い目&冷めた目を持っているために、家庭的なことに馴染めない…入り込めなかったりするのでしょうか。ある意味『浮世離れ』し過ぎた感性や感覚・考え方を持っているために家族との衝突が大きくなってしまうというのもあると思ううのです。

どちらか片方という人がいらしたら、お話を聞いてみたいと思います。
というのは、私は両方だし、しかも幼少からそうですから、本当のところがどうなのか、わからないのです。どちらが先だったのか、それともそういうのは関係無いのか。

前記事で私は観察者だと書きました。それは間違いありません。学校や社会だけでなく家庭でも。
そして私の家庭環境・生育環境としては、家が貧乏だったことは置いといて、毒親と毒きょうだいでした。ついでに親戚も『毒~』です。まぁ巷で聞くほどの強度の毒親とかでは無いとは思いますが、それでもけっこう大変でした。きょうだいも2人いて、私は真ん中ですが、上からも下からも理不尽な目に遭わされてきました。(今更、どうでもいいですけど)
ちなみに現在、両親は既に他界し親戚もきょうだいも疎遠になって…というか、しています。父親が早くから病気で働けなくなり、母親も病気になりました。両親を公的支援がほぼ無い状態で独りで介護、見送りました。きょうだいは、…私のほうから離れました。ご近所のしがらみも捨て、きょうだいの居住地からも遠い地方へ移住、そして親戚からも逃げました。

そんなことも含めて、私はアダルトチャイルドとかヤングケアラーとか…そういう部類にも該当していると思います。もう『お婆さん』の年齢ですけど、調べてみるに…そのようです。…というか、そうだった。。。(これも今更どうでもいいですけど)

若い頃私は『どうして私ばかり…』とか『私は前世でよほどの悪いことをしてきたのかな…』とか、怒りを抱いたり自己憐憫に陥ったりしました。
でも、霊的な変容や数えきれないほどの霊的&不思議な体験を重ねる中で気づきを得ることになりました。『すべての出来事に意味があったんだ』と思えたのです。本当に芋づる式に、また、パズルのピースが埋まるように、『だからなんだ』『そういうことだったんだ』と理解でき、現在はもう何の疑問もわだかまりもありません。マイナス感情は昇華されて概念だけになり、事象を思い出しても動じることはありません。すっきりしています。

曼荼羅スピリチュアルさんの動画

先月、YouTube を視ていたら、「曼荼羅スピリチュアル」さんの動画を見つけました。私はスピ関係の動画は殆ど視ないのですが、なんとなく気になったので見てみることにしました。ということで、とりあえず目を引いた数本を視聴したところです。

案内のKAZさんがいろいろなテーマでお話をされていました。それぞれの内容は、私が知っていること、気付いていることが多かったのですが、未だ気づけていないことで(特に実人生との関係について)『なるほど、そういうことだったんだ』と腑に落ちたことも多々ありました。それらには何ら矛盾が無いことも納得出来た要因です。

総じてKAZさんの考え方…というより解釈は、私が体験したり気づいて理解しているものとほぼ同じでした。
私は言葉より先に感覚で理解するタイプで、「言語化して説明する」という作業が得意ではありません。言葉の扱い方が下手というか、…なのでよく誤解を招いてしまいます。
KAZさんは説明がとても上手で、的を得た表現には感心させられました。私の『お薦めの動画です。


KAZさんの動画に登場する「ブルーレイ・スターシード」は、私もそうです。
『ブルーレイ』という括りに出合うまでは、私は「インディゴ」の先遣隊の一人なのかなぁ、と思っていました。初めて「インディゴ」を知った頃、年代的に少し合わなかったからです。それに「インディゴ」の特徴には当てはまるものもあったのですが、かなり違和感がありました。私は「クリスタル」の要素もけっこう持っていたからです。そして「レインボウ」もちょっとだけある。そんなことから、しっくりしないまま『例外なのかな、それとも私は無関係なのかも…』などと、ずっと思ってきました。でもブルーレイを知ったら、その要素が強いし、年代的にも合うことがわかりました。私がスターシードであることは前から知っていたので、所属がハッキリしたというか、わかって少しホッとしたのが正直なところです。

そのほかにも、動画を視たことで、「ライトワーカー」であることも確認できましたし、「アンカー(最終走者)」であることも改めて確認するに至りました。以上2つは…勿論…既に知っていたというか気づいていたのですけどね。

それから「観察者」というのも、そう、私はまさしくそれです、幼い頃から。
「観察者」という表現はいいですね。いろいろな状況をひっくるめてひと言で言い表すのに適したいちばん理解し易い言葉だと思います。
この単語「観察者」…短い言葉は、該当する人の大変な(苦労の多い)人生を示すには少し不足する感はありますが、それでも与えられた立場というか状況を表すには、これ以上の言葉は無いと思います。

思ったのですが、KAZさんと私は同じソウルグループなのかもしれません。理解解釈がとてもよく似ていて、同じように考えていると思えたからです。彼は「受け取り伝える・教える」役目。一方私は、「実践する」…というより「体現する・地で行く」役目という感じでしょうか。そんなふうに思ったのでした。

マヤ・ツォルキン暦+生命樹

もう何年も前のことですが。一時、マヤ・ツォルキンとマヤ生命樹をセットにした場合、どのくらいの頻度(年数)で同じパターンが現れるのかを知りたいと思ったことがありました。

今思えば、当時は勉強不足も相まって、マヤの暦に関する詳しい仕組みも知らず、大それたこと?を考えたものだと、我ながら呆れています。
で、どうなったかというと、一応、手作業で…やってみたたんですね。(汗)
全て手作業というわけではなく、KINを求めるサイトと生命樹のナーカルを求めるサイトを見つけて、そこに一つひとつ入力しながら出てきたデータをメモして…。
紙と鉛筆を用意してパターンと年号を羅列。そして書き留めたそれぞれの間が何年あるか?なんてことをしていたのです。けっこうめんどくさい作業で、だんだん殴り書きのようになって行った。。。

その紙書類というかメモが、最近整理していたマヤの関係のバインダーから出てきたんです。
当時、途中で嫌になって放り出しそうになるのを我慢しながら、それでも休憩しながらやったことを思い出しました。
それにしても(我ながら)汚い字だなぁ…と思いながら、改めて眺めてみました。

よく見ると、それは、出現するすべてのパターンを全て書き出したものではなく私に関してのものだけでした。まぁそうでしょう、ね。全てだと、あまりにも膨大な量になってしまいますから。
私のKINのデータ(~の年の~の月の~の日)と、生命樹のナーカル(デイサイン)をセットにしたとき、そのセットと同じ組み合わせが何年ごとになっているか?を調べたものでした。

たぶん、途中で集中が途切れて間違ったりもあるかと思いますが、それによれば…。
「〇年ごと」と決まったパターンが出て来なかったみたいです。並びが途中で逆向きになったり、1つ飛んでみたり(抜けていたり)、間が数百年間だったり千年超えたり…決まらないというか。
ということで、前回はいつだったか?次はいつ?というのが紙の隅の方に書き記してありました。

私の組み合わせの場合、前回は西暦553年、次回は西暦2945年。
実際、上記の暦の年が正しいかどうかは…大いに怪しいのですが、もし仮に正しいとするならば、それぞれの組み合わせはたくさん出来ますから、どの人も「生涯、セットが同じ異なる世代の人に巡り合わない」ということになります。もし万一いるとしても、世代はかなり離れますからたぶん(滅多に?)出逢えない。同じセットの人は、同じ生年月日の人だけ、ということですね。
そう考えると『私たち人間は皆、誰もが稀有な存在で大切な一人なんだなぁ』と思った次第です。

月のボイド・タイムだったんだ!

月のボイドというのがあって、その時間帯には不都合?が出やすいらしいことは知っていました。まぁただ知っていいる程度で、あまり考えたことも無かったですし、だからこれまで調べたことも無かったのですが…。

昨今の物価値上がりで日用品や食品を買うのに、以前以上にクーポン券などを重視するようになりました。踊らされない程度に、ですけどね。しっかり考えて必要な物を吟味して特売日なども利用しています。
で、去年のいつだったか…スーパーで買った商品をうっかりサッカー台に置き忘れて車に戻ってしまい…結局、盗まれてしまったことがありました。また、数か月前にも支払い済みの商品を駐車場でカートの下部に置き忘れ、上部の荷物だけ持って車に。その時は、入れ替わり車で来店した人が気づいて私の車まで持ってきてくれました(感謝です)。

そんなふうに、スーパーが混雑する日に限って、ここ数年…滅多には無いものの、うっかりミス(失敗)をしてしまうことがあって、ちょっと後悔…なんですね。『自分のミスなんだからしょうがない』と気持ちを引きずらないように切り替えてきましたが、先日またやらかしてしまい、がっかりしてしまいました。勿論切り替えましたから、もうどうでもいいです…よ。

ところで。実は今日も『ちょっと危なかったなぁ』と思ったことがありました。それはミスというほどのことではないのですが、『もう少しちゃんと考えたほうが良かったナ、まぁいいけど』という程度のことでした。実害は無いので『それもあり、だからいいさ』と自分で納得して終わったのですが、その時、月のボイドのことが頭に浮かんだのでした。

もしかしたら…関係してるのかな?ということで、早速調べてみました。
今日のその時間はボイド・タイムではありませんでした。ざっくり計画したときも、買い物したときも該当していませんでした。
ところが先日のミスは、完全にボイド・タイム。真っただ中でした。
「あはは、やっぱり関係あったんか。やっちまったよ! 無意識にボーっとしてたんだ。」
それでも、往復の車の運転で危ないことは無かったから、良かったナ。

ジオ占星術での惑星ノードは?

ジオセントリック占星術でのノードといえば、月のノードのことを指しますね。一般に、ドラゴンヘッド(上昇点)とドラゴンテイル(下降点)と言います。それらも必ず対なのですが、特にドラゴンヘッドは重要な感受点として解釈されています。

前記事でヘリオセントリック占星術での惑星ノードについて触れました。それらは『強大な影響がある』と書きましたが、それではジオセントリックでは(それら惑星ノードは)どうなるのだろうか?、何か意味があるのだろうか?、と思ってしまいました。

実のところ私のヘリオチャートは異なる惑星(2つ)のノードに地球と水星がそれぞれジャスト・コンジャクションです。そして地球に限って言えば、その度数はジオチャートのASCと重なります。なので、私の生い立ちというか、人生?に何か関係があるのかしら?と思ったのでした。

そのことを松村 潔 氏に質問してみたところ、「惑星ノードはジオ・チャートでは位置が変わるから全く関係無い」とのことでした。まぁたしかにジオでは地球からの見かけの位置になりますから、日々動いて行く=位置が変わって行くのでわかります。
だからヘリオチャートでの惑星ノードと同じ様に考えるのは…やはり違うだろう。…とは思ったものの、気になってしまう…わけで…。

そんなことを考えつつネットを検索…もとい!…つつき回していたところ、ジオセントリックチャート(トロピカル)に於ける惑星ノード位置を調べることが出来るサイトが見つかったのでした。なんでも、占星術の一派で、名前は忘れましたが、地上チャートでの冥王星のノードを基に生きる目的?生きるための原動力?(何だったかな…。)とかを探る占星術だったように思います。(違ってたらごめんなさい)

とにかく一応、そのサイトをざっと読んで、取っ掛かりの本を購入したのですが、私には難しくて、さっぱりわかりませんでした。望めば有料で占っていただけるようでしたが、あいにく…お金の余裕が無くて諦めました。ただ、ノード位置を求める(計算で出せる)サイトは無料で利用できたので、早速、生年月日他の必要情報を入力してみました。すると、私の誕生日を含む十数日の各惑星のノード一覧表が表示されました。

外惑星のノード位置は日々あまり動かず、しかも上昇(ノース)も下降(サウス)もだいたい180度の関係でとてもゆっくり推移していました。一方、内惑星のノードは180度よりずっと狭くて、しかも、どんどん(目まぐるしく?)移動していました。

そして、私にとっていちばん重要な、ヘリオで地球がコンジャクションしている惑星ノードを調べてみました。すると、私の出生年月日・誕生時刻付近の地上からの見かけ位置は、なんと!私のASCとぴったり重なっていました。ヘリオと同じ向きのノードです。ちなみにDSC位置には私の太陽があるのですが、そこにはその惑星の逆向きのノードが重なっていました。つまり、私の場合、ヘリオもジオも同じ惑星のノードが絡んでいたのでした。
そのことから、やはり何かあるのか(人生に関係あるのか)?と勘ぐってしまいました。
結局そのことがわかっても、未だ答えは出ていません。誰かわかる人がいたら教えて下さいませ。


ヘリオでの別のノードに絡んでいる水星についても調べてみました。ノードは外惑星のものです。ジオで見るとヘリオと同じ向きのノードは、ジオでは反対側の位置でほぼ同じ度数になっていました。そこにヘリオと同じ感受点は…ありません。というか、何も無い。

実は私のヘリオチャートでその惑星ノードの反対側=対の逆向きノードには、キロンがジャストコンジャクションしています。ということで、ジオのチャートのキロン位置を見てみました。すると…、ヘリオの時と同じ惑星ノード(同じ向き)が1度ズレた所にありました(1度はジオでのオーブのギリギリ範囲内)。つまり、私の場合、キロンがヘリオもジオも同向きの同じ惑星ノードに絡んでいることに…なります。ヘリオにも同感受点(ノー度&惑星)の関係があるみたい…。(おもしろい&ややこしい)
だから何?って…わかりませんけど、やはり何かあるのかなぁ…と思ったりしています。

こうやって文章にしてみたら…。たぶん読んでいる方にはごちゃごちゃしてわかり辛いかな?と思いましたので、表にしてみました(下部に画像を掲載)。
本当はチャートを載せるのがいちばんわかり易いのですが、今この時点では…その勇気がありません(バレバレになりそうで…)。というわけで、悪しからず。。。

     

惑星ノードと占星術

まず、惑星ノードとはどんなものかというと。太陽の赤道を外側に向けて広げた面に対して、太陽系の惑星の公転面が交差する点です。各惑星の公転面は傾いているので、上に現れる上昇点と、その逆の下降点が存在します。例えば地球に対する月の場合(ジオセントリック)で見ると、ドラゴンヘッドとかドラゴンテイルというのがそれに当たります。

惑星ノードを扱う占星術として、一般にはヘリオセントリック占星術がよく知られています。それでも、ヘリオセントリックはジオセントリックに比べてまだまだマイナーだと思います。というのも、人間は肉体を持ち地上を拠り所に生きているため、地球=自分を中心として世界(周囲)との関係を重要視するからです。

ただ、地上意識から一段上がったレイヤーの意識がメインとなっている人にとっては、一般的なジオのホロスコープは齟齬が大きかったり、あまり参考にならなかったりします。そんな時、ヘリオのチャートを読んでからジオを解釈すると気づけなかったことが見えてきたりします。そんなわけで、ヘリオのチャートは個人の生き方に関する潜在的な欲求等を見つけるのに役立つと思っています。ちなみに、ヘリオのチャートの解釈には、地上的な具体的意味を排除します。上位意識の意味解釈なので、概念的な要素が重要となります。

前置きが長くなりましたが。そのヘリオセントリック占星術では、感受点が惑星ノードにコンジャクションする場合、とても重要な…というか、強力な影響があります。
その際のオーブ(許容度)は僅か1度です。それでも3度くらいまでは何らかの影響がいくらか現れたりする可能性もあるようです。

…と…ここまで書いて、『でも、ヘリオ占星術でもノードの話はあまり出ないよね』と気づいた方もいらっしゃると思います。それもそのはず、…というか。。。
一般的にヘリオで言及される惑星ノードは水星から冥王星ぐらいです。それぞれ上昇と下降の1対=2つ×8惑星とすると16になりますね。(自分を表す地球のノードはあまり重要視しない?ので入れませんが、考えられなくも無いかとも思います)

そしてオーブ(許容度)が前後1度ということで、1つの惑星で年間およそ6日分しか該当しません。誕生日の違う360人がいたら、そのうちの6人程度。影響を受ける人は、60人に1人くらい、ということになります。(もっとも、ぴったりコンジャクションしていても強力な影響が必ず及ぶかといえばそうでもない場合もあるようですが)
それでも、強力な影響を受ける場合のオーブは0~1度ですから人数はもっと少なくなります。そう、惑星ノードが絡む生まれの人は、どちらかといえば珍しいのです。
更に。複数の惑星ノードに絡んでいる生まれの人となると、これまた人数がかなり減るかと。それこそとても珍しくなります

通常、ヘリオの感受点解釈は、サビアン度数の意味で解釈します。例えば5.5度の位置なら、5度と6度の意味で考えます。ですが、ヘリオで感受点が惑星ノードに絡む場合、ノード位置の意味だけでなく、そのノードを持つ惑星の意味全てを引き受けます。
例えば土星のサウス・ノード(下降点)に火星がコンジャクションしている場合は、土星が意味すること全て(サビアン360度分すべての意味)が火星にのしかかります。そしてそれを土星の下降ノードが示す意味に沿って火星意識が行うというか、表面化に向かう。。。
※それが地上の(ジオの)火星意識に下りて、現実化へ突き進む。結果はどうあれ。

ノードはそれほどまでに強力なので、人間が一人で背負うのはとても大変なことだと言われています。つまり、良くも悪くも、とっても大変な人生を送ることになる…かもしれない…。
ノードとコンジャクションがある誕生日の人は、ある意味、重い責任を承知で(覚悟して?)引き受け、生まれてきたということではないでしょうか? 
またある意味、選ばれて?そういう人生を送ることになったのかも…しれません。。。
いずれにしても、人間全体にとっての大切な役割の一部を担う人なのでしょう。
私はそのように思っています。