次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

幼児の中の大人意識

先日「三途の川事件のあらまし」のところで少し触れましたが、自分が幼い子供であるにもかかわらず、大人の意識が同居していた記憶がまだほかにもあります。

同居していたといっても、何か興味の対象となる(強く好奇心を抱いた?)一つの事柄に対して向き合っている間だけで、それ以外の日常生活の中では全くの子供意識です。
勿論、子供の強い感情とともに思ったことを記憶していることもありますが、それらはたいてい身近な生活に関係することばかりです。そうは言ってもそこは幼稚園児ですから、多くは忘れ去っています。

私が幼稚園生までで憶えている大人意識だったことは、「三途の川‐あらまし」以外に3つです。
まずひとつは赤ん坊だった時のこと。両親のどちらだったかはわからないのですが、とにかく抱っこされてお風呂に入ったときのもの。湯船にゆっくり浸かるにつれて、着せられていたガーゼ生地(だったと思う)の布の下の方からお湯が浸み込んで上がって来る(毛管現象でしたっけ?)様子。それをじっと見つめながら身体がだんだん濡れていく感触が未だに残っています。大人の意識だったとは言えないかもしれませんが、言葉も理解できない時期にそのようなことに注視したことを記憶に留めているのは…おかしなことかと。

更に一つは、幼稚園の年長時、園で血液型の検査があって、それを調べた時のシート(名札サイズ)を園庭でお友達が見せ合っていたこと。とはいうものの、その時私は未検査だったかもしれません。持っていなかったし。たぶんお休みした日に血液型検査があったのだと思います。それで、お友達が「僕はO型」とか「私はB型」とか言い合っていたのですが、私は大して気にも留めなかったです。血液に型があることは当たり前のことと知っていたフシがあります。ワイワイ言い合うほどのことではない、っていう感じでした。幼稚園年長でその話題が記憶にあるってのもまた変だな、と。

もう一つはやはり幼稚園生だったとき園での記憶です。それは人間の第二次性徴に関することです。幼稚園児なのに!?
ある日、園庭で遊んでいた時、男の子だったか女の子だったか忘れましたが、とにかく一人の子が私たち数人が集まっているところに来て「〇〇ちゃんがお尻に毛が生えたんだって!」なんて言うのです。〇〇ちゃんは勿論、お友達の一人です。「お尻って…どこに?」とか質問が飛びます。「えーーーっ!?」とかも。続けて、情報を持ってきた子が「だから剃ったんだって!」と。また「へぇー!」とか「えーっ!」とか声が上がりました。
いやもう、何も意味がわかってない幼稚園児の会話です。だから屈託なく恥じらいも無く、ただそれだけのことなんですけど。そこでも私は何も言いませんでした。一般的には大人になれば誰でもそうなることは知ってましたし、これまた話題にするようなことでもない、と思ったのでした。まぁでも、そこは幼稚園児の私。第二次性徴のすべてがわかっていたわけではなかったですけど。深い意味も。それでも、こんなことまで憶えてる私って…。

これらの『大人な記憶』の場面では、幼い自分の意識が影を潜め、妙に冷めた目で物事を見ている自分がいました。
そして、なぜか科学的な内容とまではいかないまでも、そうした知識の欠片がどこかから湧いて来た?ように感じています。もしかしたら過去生一つが関係しているのかもしれません。今現在も科学好きです。

 

///////////////////////////
参考記事:2022・09・13「三途の川事件のあらまし」