次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

クンダリーニの上昇と深淵(1)

毎晩のように訪れる恐怖と苦痛の時間。その時のことを思い出していたある日の午後のこと。
腰を下ろしたベッドの端でちょっと思考停止…ボンヤリしたときに、ふと気づきが訪れ始めました。
『抵抗するから苦しいのかもしれない』。でも、続けて思いました。『抵抗しなければ、どうなる? それは死ぬってことじゃないの?』。
さらに頭の中に次々に浮かんで来て自問し始めました。『抵抗せずに…一旦…自分から外に出て(行って)、またすぐに戻ればいいのでは?』『出る、って…どうやって? 胸のあたりを引っ張られるまま(行く)?』『それってすごく痛いし苦しいままかも。それではやはり死ぬんじゃない?』『無理やりされるのではなく自分から行くとして、どうやって?』『ひょっとして胸ってのが…、というか胸からだから…苦しいのでは?』「……頭のてっぺんから出られるんじゃない?」

最後のそれは誰に教わったのでもなく、どこかに(本とかに)書いてあったわけでもなく、自然に浮かんで口をいて出てきたのでした。
ちなみに最近はネットや本でそうした(頭頂部に言及した)記述を見かけますが、当時の私な全くそのような情報は持っていませんでした。そうした知識は何も無かったです。

『次回、金縛りが来て、いつものような拷問状態になったら、なんとか頭頂から出て、それからすぐに戻って来る』そのような結論になりました。頭頂まで行くにはどうやるのかわからないままでしたが、これまで連れ去られまいと身体に引き戻すことが出来ている以上、それは意識すれば可能なのでは?と思ったのです。

そうは言っても、依然として恐怖がありました。出ることが出来たとして戻って来れるのか?と。戻れるとしても、どこからどうやって戻る? 意識すればできるのか?  
考えてもわかりません。ただそれでも苦痛から逃れる方法はそれしか無いと思いました。
いつ終わるともわからない激痛が伴う現象。これが毎日のように続いたなら…どのみち…死ぬか気を失うか発狂するかのどれかだろうから、やってみる価値はある、と。とにかく…どんなことがあっても、絶対に戻る!それも正気を保って。怖いけど自分を信じるしか…無い、と。

そう決めた2日後ぐらいに…ついに「その時」が訪れました。

・・・つづく・・・