次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

3.11震災‐揺れが治まって、その後

100均の出入り口を出て屋根続きの店舗前通路を飛び跳ねながら車に向かう途中、どうやら揺れが治まったようでした。八百屋の前に留めた車に乗り込もうと鍵を開けていたら、八百屋のおじさんが「車がこんなんなって揺れてすごかったよ」と身振り手振りで表現して教えてくれました。私も「凄い揺れでしたねぇ。びっくりですよ」と言葉を返しながら車に乗り込み、ラジオを点けました。

ラジオからアナウンサーの声が聞こえてきました。「~震源地は東北太平洋沖、最大震度は~」と続きます。『あぁやっぱり東北だ…』と思っていると、まもなく…またアナウンサーの声が「大船渡に大津波警報が出ました!!」と。私は我に返り、ラジオを消して車を出て100均ショップに戻ります。途中、付近の市のスピーカーから防災情報を伝える放送が繰り返し流れていました。「〇〇市の震度は5弱です。~」。※買い物中のここは「〇〇市」です。

100均ショップに戻り、お店の人に「東北が震度6とか7とか。で大船渡に大津波警報が出たと(ラジオで)言ってました」と伝えながら、大急ぎで買い物を済ませ、店を出ました。そのまま帰ろうかとも思いましたが、やはりそうも行きません。車に買った荷物を置き、反対側のドラッグストアに走りました。店には客が多くレジには行列が出来ていました。週末に加え、地震が起きた影響もあるのかもしれません。とにかくそこでも超特急で買い物を済ませ、車に飛び乗ります。そしてバイパスをとばし、帰宅。玄関を入るや否や居間に走り、買ってきた荷物を部屋の隅に放り投げ、テレビを点けました。

東北震源地震でここ富士の国もけっこう大きな揺れということは、…東北は半端なく大きな揺れだったに違いないと思いました。また、ここまで揺れが伝わって来るには時間差があったはずで、現地はいったいどうなっているのかと…。
私はテレビの画面にくぎ付けになりました。テレビ局のスタジオのアナウンサーの画面から切り替わって現地映像が映し出されたのです。土地勘のない私は場所がよくわかりませんでした。

驚愕の映像でした。波が押し寄せて魚船(たぶん)が流されてきます。そこそこ大きさのある船です。波が堤防を越え、車が流され、商店や家屋が浸かり…それから…壊れて行きます。現実とは思えないような凄まじい映像でした。「みんな、逃げて!」私はテレビに向かって祈りながら叫んでいました。

もうその日は何も手につかず、テレビは点けっぱなし。時々チャンネルを替えては報道を食い入るように視聴していました。気づけば夜10時を過ぎていました。あり合わせの軽い食事を済ませ、居間に散らばった今日の買い物品を片付け始めました。小さなクーラーボックスもそのままでしたが、保冷材は何とか未だ効いていました。

片付けもひと段落。テレビの報道も夜ということで繰り返しが多くなりました。明るくなるまで新しい情報は入って来ないので、とにかく寝ることにしました。興奮していて寝付けそうに無かったのですが、とにかく翌日のために少しでもと思いました。いざ寝ようと横になった時、昨晩…昨夕からの一連の出来事を思い出していました。『このことだったんだ。帰りたい、ってのも…。もしかしてクレーンのことも?』

そして、気付いたのです。左座骨周辺の痛みや違和感がすっかり無くなっていたのです。動いても、どのような姿勢を取ってもなんともない。考えてみるに、昼間100均で飛び跳ねて歩いた時も全く異常が無かったではないか! そこで思ったのでした。『去年(2010年)4月からの座骨辺りの違和感も痛かったのも、もしかしたら繋がっているのではなかろうか?つまり…地震の(私への)警告(というか通知)だったのでは? たぶん、きっと…そうに違いない』と。なぜなら私は昔から、予知的な何かでそうなふうに体に異変が出たり感覚変化が起こることが多かったではないか。

帰宅後もその後も、ここ富士の国でも東北の地震の余震が何度か感じられました。回数は…憶えていませが。
そしてこの日から…毎日…朝から夜遅くまでテレビを点けたままの日が続きました。

※余談ですが、ここ富士の国では同年3月15日夜、富士宮市マグニチュード(M)6.4の地震が発生しました。富士宮の震度は6強。私が住む市でも結構大きく揺れました。ただ、揺れ方はガシャガシャという横揺れでした。
 
・・・つづく・・・

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