次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

前記事を受けて、なんか…ね・・・

ひとりごと。。。

こんなことを書いたら…炎上するかもしれないのだけれど。お前は何様?ってね。
でも、これは私の個人的な思い。特定の誰かを批判するものでもないし。
ただね、ちょっとというか、だいぶ残念に思ってるんだな。人間はいつまでたっても地にはりついて離れられないんだ、と。勿論それは、今、地球世界に居るすべてではないのだけれどね。

さっき、『はりついて離れられない』って言ったけど、それは肉体の自分とそうでない…つまり意識というか霊的な自分が同化して互いに依存関係にあるからなんだよね。それがいけないというわけではないけど、そのことに気づけないが故に、はりついて離れられない。
そういう状態が強固になればなるほど、個として凝り固まり貪欲になる。それは低波動の感情に支配され続けるから、濃密になり重くなる。ますます離れられなくなるというわけ。

対極にあるのは愛。形の無い愛が最上位。愛はあまねく次元に存在できる。どんなに高次であっても。愛は次元を貫いてある。
その中で、肉体ありきの性愛は最下位。つまり愛が存在できる最低次元にある愛ということ。愛は何処にあってもすべて美しい。けれど人間の愛は肉体に引きずられた途端、波動を落とす。そのことを忘れてはいけない。

地上の生活というのは、地球世界の地に生きるということ。肉体に収まるためには相対的に波動を落とさない限り無理なこと。私は一応…どうにかそれが出来てはいるのだけれど、完全には不可能。本来あるべき枠(繭)が壊れちゃってるから。だからnakasorabitoなんだよね。『上』にも『下』にも属せないどっちつかず=宙ぶらりんの人間。つまり人間以上、人間未満。

『人の世』というのは、肉体を個のものとして取り込んで扱う、そういう処。自己他者を問わず、気付かぬうちにいつも傲慢さと欲の脅威にさらされる。そのことを心して生きる必要がある。そのような世界は面白いのかもしれないが、そこから一度でも高次世界を経験すると色あせてつまらなく思えるのも事実。というか、実際あほらしい。光と音の芸術と性を超えた人間愛以外は。

地球世界の人間は何処に向かうのだろう。程度(波動)の低い地球世界、そういう人間がうじゃうじゃいる世界は、私はもう…うんざり。楽しくないし面白くもない。
私は今生が最終らしい。つまり、地球世界での輪廻は終わりということかな。
肉体を脱ぐことになったら…6次でツインソウル(片割れ)が待っているからさっさと行くつもり。(一度呼び出しを食らってるから心配はしてない(不安は無い)。あの時言われたのは、音楽を私の中心に据えなさい、ってことなんだろうな、シンプルに。『私』が『世界』に振り回されないように)
でも再会したその後は…どうするのかな。また地球に戻りたい!ってなっちゃうかもしれない。それはその時にならなければわからない。なんにしても淡々と生きるのみ。