次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

心を病みかけた事故予知の衝撃

1986年1月28日、この日に起きた大きな事故を憶えていますか?または、知っていますか?
それは、アメリカ合衆国スペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ直後に爆発(空中分解)して、乗員(宇宙飛行士、小学校の先生)全員が亡くなった事故です。

私はそれが起こることを…知ってしまいました。打ち上げ前に。自分の中では100%の確率とまでは言えませんでしたが、十中八九はそうなるだろう、と。
知った時期としては当該シャトルのひとつ前のシャトル打ち上げ前から。少なくとも2回、期間を置いて、私の意識に警告めいた情報がもたらされていました。にもかかわらず、私は何も出来なかった、いぇ、結果的にしなかった…。

当時それは仕方のないことだったとわかっていても、私は自分を責め続けました。見殺しにしたようなものだ、と。ひどく落ち込んで何も手につかなくなり、心身ともに押しつぶされそうでした。誰にも言えず、苦しいその状態から心を整理して抜け出すまで、3か月以上…半年くらいかかりました。

そして、この事故を境に、私は予知に関する自分のスタンスを決めました。
こと事故に関しては(大きな自然災害も)…特に世界的に衝撃となるようなものに関しては、たとえ予知したとしても、『原則として』事前には口にしない、と。黙っていることがどんなに自分を痛めつけることになっても、です。黙っていることが卑怯かどうか、ということに関しては判断しません。自分の心を守ることも必要だからです。

予知する者には矜持と同時に責任も必要だと思います。また、予知する者には強靭な精神が必要です。人間の生死に向き合わなくてはならないことでは特に。そして時には非情にならざるをえません。
尊厳、慈悲、常識、知る権利と知らない権利、社会的影響など…すべてのものを天秤にかけ、バランスをとる必要があると思うからです。予知による自己顕示欲の充足は、もってのほか、と私は思っています。