次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

過酷な霊的「嵐」の再来

2000年の暮れから翌春の間のこと…だったと思います。
※父親の他界から怒涛の法要(父親の葬儀・初七日、四十九日、初盆、一周忌+母親の年忌)、そして相続に関する手続き、家の取り壊しと新築に関わる諸々の算段や交渉、仮住居となる借家の大家さんに挨拶を済ませ引っ越し、更に新居が完成で借家を引き払い(大家さんに挨拶して引っ越し)、新築祝いの準備とご近所さんへの挨拶など、休む間もない行事をたった独りで取り仕切り、ようやくひと段落ついた頃ということで、だいたいそのあたりの日になったかと。
ちなみに、何故すぐ取り壊しの新築かというと、離れて暮らすきょうだいが半ば強要して来たからです。
この経緯は長くなるので書きませんが、とにかく当時は心身共にボロボロで、毒きょうだい(=他人からも呆れられる身内)との諍いを戦う体力も気力も私には残っていなかった=従うしかなかったわけで…。


横道に逸れましたが。…で。
たしか…家移りから4か月前後ぐらいの頃だったのでは?と思っています。というのも、「嵐」の再来時(真っ最中)に『来年、まだ3回忌があるし…』と思ったからです。
霊的な「嵐」の再来というのは、以前、記事にした長期にわたる『死んだ方がマシ』と思うほどの激痛を伴う体験に再び襲われた、というものです。

一連の行事が滞りなく終わり、なんとなくホッとしていた時期でした。未だ新しい家具が揃わず、または引っ越し時の荷解きも途中のままの状況だったと思います。
とりあえず居間の座卓の隣に布団を敷き、仰向けに横になって寝ようとしていました。時刻は大体…21時50分頃だったと思います。天井灯を消して、常夜燈だけの薄暗い中でした。

突然、私を金縛りが襲いました。息が出来ず、胸から喉にかけて締め付けられるような苦しさと激しい痛み。胸の中…心臓を絞られたまま引っ張られるような感覚が再び訪れました。私の意識と共に上方に連れ去られそうな…猛スピードで上昇して行く感覚…。私は自分の肉体がある位置に『私』を引き留めようと必死に抗いました。
その間、私は思い出していました、「この感じ(現象)は…知っている」と。
とにかく抗い耐え続けていると、暫くして金縛りが解け苦痛が去って行きました。私は大きく息をついて『何年ぶりだろう』などと考えました。少なくとも20年くらいは経っているのでは?と思いました。
そして…暑いな、と。気づくと汗をかいていました。

そのまま呼吸を整えていると、だんだん暑さが和らぎ、汗も治まりました。久しぶりの金縛りでしたが、「疲れているからなのだろう」ということで特に気にせず、そのまま眠ろうと思いました。暫く目を閉じていると眠れそうな雰囲気…だったのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。再び金縛りです。先ほどと同様、せめぎ合いを経て落ち着きました。やれやれ~です。行事の疲れもあるのでしょうけれど、金縛りとそれに伴う現象でもちょっと疲れてしまいました。いやもう…何でこうなるの?です。寝させて(眠らせて)ください!です。

汗が退いて…そのまま眠りに就こうとした次の瞬間、また…それがやって来ました。先ほどと同じ金縛りと激痛、そして上昇。私はまた抗い、闘うことになりました。同様にまた引き留めに成功し、金縛りが解けました。汗びっしょりです。身体が火照っていました。私はからだを起こして汗が退くのを待ちました。そしてまた横になったのでした。

先ほどの「三度目の正直」で『もう無いだろう』と思ったのも束の間、なんとまた…それはやって来たのです。
「二度あることは三度ある」だったのか?と思いました。そしてこれで四度目です。
苦痛の度合いは…はなんだか先ほどまでよりも強くなっているようでした。歯を食いしばって抵抗しました。『なんで何度も?』という思いもありました。同時に『私を(あちら=死後の世界?へ)連れて行こうとしているのか?』とも思いました。上昇と引き留めの綱引きです。数回それを繰り返し、やっと打ち勝って?金縛りが解けました。
身体は暑いを通り越して熱っぽい状態で汗だくでした。
私は流れを断ち切るため、そして気分転換も兼ねて、布団から出ました。天井灯(蛍光灯)を点けて、がらんとした部屋の中をぐるぐると歩き回りました。

それからまた電気を消して布団に入りました。眠気はありません。でも寝ないと…明日またやることがあります。ひと段落はしていても、引っ越しの後片付けや次の法事等の準備を少しずつでもしないと、後々切羽詰まっても困ってしまうに違いありません。しっかりと眠って休まないといけません。私は目を閉じて深呼吸をしました。仰向け状態でした。
…と。またです! ちょっと休憩を挿んでの連続五度目! もうヘトヘトです。それでも私は抵抗を続けました。『あの時のように一回外に出て、それから戻ればいい』という考えが頭をよぎりました。『方法はわかっている』と。でも私には「戻って来る(来れる)」自信がありませんでした。なぜならもう体力的にも疲れてしまっていましたから。抗い続けるしかありません。我慢比べです。そして…耐え凌ぎました。
金縛りが解けるとグッタリでした。大量の汗をかいていました。とにかく熱いし暑い。正直、もういいかげん、勘弁してほしいと思いました。起き上がって身体が冷めるのを待って、横になりました。

そして…。最後となる闘いがやって来たのでした。六度目です。けれど幸いなことにそれはごく短時間で終わりました。私の中の感覚では、です。金縛りと心臓を毟り取られるような激しい痛み。そして…。
急速に上方へ向かう感覚が始まった時に私は抵抗しながらも『来年は三回忌。それが終われば七回忌。とにかく三回忌までは一年くらいしかない。私が仕切らなければならないの!、今…行ったら…(こちらに)戻れるかわからない。私には法事をやる責任がある。だから(そっちには)行かない!』と心の中で言っていました。すると間もなく、金縛りは解けたのでした。

私は時計を見ました。22時30分前後でした。途中に休憩を挿みながら30分以上格闘していたことになります。そんなことって…あるの?自分でも驚きました。
直後は疲労困憊で起き上がることはおろか、寝返りを打つことも出来ないほどでした。それでも一連の現象は終了し、安堵の中、ぐっすり眠ることが出来ました。

私は…もしかしたら…新しい世界を見る機会を失ったのかもしれません。「好奇心」より「責任」が勝ったというか、「社会的責任」あるいは「人としての責任」のほうを選んだということもできます。
思うに、「自信がない・自信が持てない」のなら無理をしてはいけない、というのも選択としては正しいのではないか?とも。
どうすればよかったのかは今もわかりません。『たられば』の話になりますし。それでも私はその時「選択」したのですから、そのまま進むしかないのですね。
その後数十年たって、…実際また(私にとって)新しい世界?を見せてもらうことが出来ています。だからこれで良かったのでしょう。私は私の役目というか本分があるのでしょう。それ以上は望むべくもない。。。

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