次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

小林亜星さんは2度〇んだ?!

2年前の手帳を見返していたら、作曲家・小林亜星さんの訃報メモがありました。
私が彼の逝去を手帳に記した大きな理由は、…2回目で驚いたからです。2度目とは当然、ありえないわけで、だからその時、急いでメモしたというわけですね。

調べてみると、彼が逝去したのは2021年5月30日のようです。私の手帳には同年6月のページの欄外にメモしてありました。ということは、私は6月になってから知ったわけですね。とにかく、訃報を知って、ものすごく驚いたことを憶えています。それと同時に、とても奇妙な感覚に陥ったことも。

私が東北へ移り住んだのは2015年のことです。なので、この訃報は東北の地で知ったのです。
でも…おかしいのです。私は既に(過去に)小林亜星さんの訃報を見ているのです。まだ富士の国に住んでいた頃に。日付は忘れましたが、東北に来る数年前だったと思います。まだ移住や転居も考えていなかった頃です。

当時、彼の訃報は地方紙=新聞(当地の大手新聞社発行)の後ろから2ページ目、最下段端に写真付きで短く報じられていました。いわゆる訃報欄ではなく、その日の話題など…県民がいちばんよく読むページです。県外の著名人の訃報が載ることも珍しくありません。そのページの(広告以外の)末尾に小さく短く載ります。顔写真無しのこともあります。当時、小林亜星さんの訃報は顔写真付きでした。

私は以前から小林亜星さんが作曲家であるかとは知っていました。でも、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(でしたっけ?)を毎回視ていましたので、とても印象に残っていたのです。だから新聞掲載の訃報を憶えていたのです。
そんなわけで、東北で彼の訃報に触れた時はデジャヴ感覚満載でした。
それでも、東北で見た訃報が正しいのでしょう。1回目は例によって?私の意識が飛んで(先走って逝去の情報のみを)取ってきたのでしょう、たぶん。だからきっと、実際には富士の国の新聞に載っていなかった=異なる紙面だったのかな、と。
なんにしても、小林亜星さん、素晴らしい音楽と楽しいドラマをありがとうございました。ご冥福をお祈りします。