次元交差:人間以上、人間未満

間借り状態のままに地上世界を生きる、はみ出し人間の霊的旅路や思い

他者の考えを先回りして読んだ!

高校生時代から社会人2年生ぐらいまでだったと思います。
私は母親の考えていること(心の内)を先回りして読めてしまうことがよくありました。
何かのトラウマが引き金だったのかもしれません。

というのも中学の頃から母親に理解されず、衝突したり悲しい想いばかりしていましたから。母親からは「育て難い子」と捨て台詞のように言われましたし、父親からも「橋の下の子(拾われっ子)」と言われたこともありました。
社会問題(事件)を俯瞰して両端の立場から心情を読んだだけなのに、悪者の考え方を肯定していると怒られテロリスト呼ばわりをされたこともありました。社会的に悪いことをして誰かに被害を及ぼしたら、それは悪いに違いありません、地上の論理としては。だけど私はそういう判断の話をしたのではなく、社会の中でこういう心理からそうなったのでは?という意見を述べただけなのに。。。 現在なら不思議はないでしょうけれど、当時の中学生としては、そうした意見表明は、たとえ親に対してでも早すぎたのかもしれませんね。親の考えが善悪だけの視点に凝り固まっていた=子供の柔軟さに追い付けなかったのだと思います。

そんなことが何度かあったせいか、たとえ親でも警戒感を抱いてしまっていたように思います。子供部屋に籠っていても、壁越しに親の話し声が聞こえると聞き耳を立てることが増えたのでした。たとえ私のことを話題にしていなくても、です。そして、私のことが話題に上ったことがわかると、よりいっそう聞き耳を立ててしまうようになりました。壁を隔ててなので、よく聞こえないこともありましたが、気になってしまい、とくに母親の声には強く反応していました。

そのうち、母親が次に何を話すか(言うのか)わかるようになったのです。話をしていなくても、母親の姿が目に入っただけで何を考えているか、これから私に対して何を言おうとしているのかがわかってしまいました。感情も手に取るように、です。ただし、内容が私に関わることだけですが。
そんなわけで、叱られる前に察して先回りして対処する、みたいなことをするようになりました。
それは 社会人になって数年経つまで続きました。

余談ですが、私の母親に対してのそういう感覚や行動はだんだん薄れて行ったのですが、感覚そのものの敏感さはいくらか残り、後の社会生活で役立つことになりました。まぁ時には敏感過ぎて、かえって大変なこともありましたが。